《 Gio(祇王)》 Hotoke Gozen dancing. At lower left: Gi. Behind her: Ginyo. At pper right: Munemori (left) and Shigemori (right). Below them: Norimori. Kiyomori is too grand to be shown. Hotoke Gozen was a true beauty: her hair, her face, her lovely figure, her deliciously lilting voice. Her dancing could not have failed to please. By the time she had finished her dance― most unwillingly― Lord Kiyomori, entranced, could think only of her. “I hardly know what to say, my lord,” Hotoke protested. “When I came, I did so unasked and was ordered to leave. Only Gi Gozen’s intercession moved you to call me back. I blush to imagine her feelings if you keep me. Please allow me to withdraw.” “Certainly not,” answered Lord Kiyomori. “Does Gi being here bother you? Then Gi will have to go.” “But, my lord,” said Hotoke, “how could you? It would be painful enough if you were to keep me here with her, but I hate to imagine her opinion of me if you keep me alone.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Heike』 ROYALL TYLER イギリス出身・オーストラリア国立大学、ハーバード大学教授を歴任
「義轍」は、すぐれた草書を書く能書家をさす「草聖(そうせい)」として知られております。
「義轍」の文字は、文字の美の極致としてアメリカやヨーロッパにおいて高く評価されております。
出品した商品は、京都・天龍寺の僧・義轍(ぎてつ)の自筆「平家物語」の古切(断簡)です。
古い時代の「平家物語」を伝える資料として特に欧米において高く評価されております。
自筆下は、不昧公と正室・方子の娘である幾千姫(きちひめ)「玉映」の印です。
自筆原本の左右の凹凸部分は、ストロボの影響によるものです。
出品した商品は、京都・天龍寺(世界遺産)の僧、義轍・自筆
「平家物語」のうち、平家の繁栄を記した「祇王」の自筆です。
「平家物語」平家一門の栄華のひとつとして描かれる舞姫「祇王」について記している。
「平家物語」は平家一門の栄華と滅亡を描いた一大叙事文学として有名です。平安末期の貴族政治から武家政治への以降期に、起こった源氏と平家をめぐる全国的内乱を記したものです。登場人物の大半が実在の人物で、皇族や貴族、武士、僧侶、あるいは寺院の衆徒や市井の白拍子まで、貴賤を問わず幅広く取り上げている。和文と漢文を融合した「和漢混淆文」という独特の文体で語られており、武士や庶民の日常語や方言が豊富に取り入れている。 「平家物語」自筆が、海外において展示され、高い評価を得ているのは、古い日本を知るうえで貴重とされていることが主な理由です。
「額縁入自筆原本」
「自筆原本」
出品した自筆の「原文の読み下し文」は次の通りです。
《祇王(ぎおう)》
《佛御前はかみ(髮)姿より始(はじめ)てみめかたち》・・・・・世にすくれ聲よくふし(節)も
上手でありければ、なじかは舞もそんずべき。心も及ばず舞すましたりければ、
入道相國舞にめで給ひて佛に心をうつされけり。
佛御前「こはされば何事さぶらふぞや。もとよりわらはゝ、
推參の者にていだされまゐらせさぶらひしを、祇王御前の申状によてこそ召返されても候に、
加樣にめしおかれなば、祇王御前の思ひ給はん心のうちはづかしうさぶらふ。
はやはや暇をたうで出させおはしませ。」と申ければ、入道、「すべて其儀あるまじ。
但祇王があるをはゞかるか。其儀ならば祇王をこそいださめ。」と宣ひける。
佛御前「それ又いかでかさる御事候べき。諸共にめしおかれんだに心うう候べきに、
まして祇王御前を出させ給ひて、わらは一人めしおかれなば、
祇王御前の心のうちいか斗(ばかり)はつかしうかたはら・・・・《いたくもさふ(候)らふへき。》
(文責・出品者)
出品した自筆の「原文の現代語訳文」は次の通りです。
《祇王(ぎおう)》
《平家一門、日本国中の富を支配・美しい舞姫・仏御前が清盛の前で謡と舞を披露》
《舞姫の仏御前は、鼓を打たせて舞を一番舞った。
舞姫の仏御前は、髪かっこうをはじめ、》・・・・・顔かたちが美しく、
声がよく節回しも上手だったので、どうして舞も失敗することがあろうか。
思いも及ばないほど立派に舞い終ったので、入道相国(平清盛)は舞に感心なさって、
舞姫の仏御前に心を移された。仏御前は、
(仏御前)「いったいこれは何事ですか。
もともと私は推参の者で、追い出されましたのを、祇王御前のおとりなしによって
召し返されたのですのに、このように私を召し置かれたなら、
祇王御前がなんとお思いになるか、その御心に対して気恥ずかしゅうございます。
さっさとお暇を下さって、退出させてくださいませ」
と申したところ、入道(平清盛)は、
(平清盛)「全然そういう事はしてはならない。ただし祇王が居るから遠慮するのか。
それなら、祇王を追い出そう」
と言われた。仏御前は、
(仏御前)「それはまたどうして、そんな御事があってよいでしょう。
祇王御前と一緒に召し置かれることでさえも、心苦しゅうございますのに。
まして祇王御前をお出しになって、私一人をお召し置きになるなら、
祇王御前の気持に対して、気恥ずかしゅう・・・・《ございます。》
(出典「平家物語」小学館)
(2)・自筆の「英訳文」は次の通りです。
《 Gio(祇王)》
Hotoke Gozen dancing. At lower left: Gi. Behind her:
Ginyo. At pper right: Munemori (left) and Shigemori (right).
Below them: Norimori. Kiyomori is too grand to be shown.
Hotoke Gozen was a true beauty:
her hair, her face, her lovely figure, her deliciously lilting voice.
Her dancing could not have failed to please.
By the time she had finished her dance― most unwillingly―
Lord Kiyomori, entranced, could think only of her.
“I hardly know what to say, my lord,” Hotoke protested.
“When I came, I did so unasked and was ordered to leave.
Only Gi Gozen’s intercession moved you to call me back.
I blush to imagine her feelings if you keep me.
Please allow me to withdraw.” “Certainly not,” answered Lord Kiyomori.
“Does Gi being here bother you?
Then Gi will have to go.” “But, my lord,” said Hotoke, “how could you?
It would be painful enough if you were to keep me here with her,
but I hate to imagine her opinion of me if you keep me alone.
英語訳文(英文)の出典:『The Tale of Heike』
ROYALL TYLER イギリス出身・オーストラリア国立大学、ハーバード大学教授を歴任
(2)・自筆の「日本語訳」は次の通りです。
《祗王(祇王)》
鼓手依命打起鼓点,阿佛伴着鼓声翩然起舞。
唇玉、姿容 媚,青、袂修裾;
腰低回似亭亭采,眉袖若盈盈雪,博得了堂喝彩。
舞歌尽,入道相国已是目之眩、魂之,
全副心思都巴巴地到了阿佛身上。
他求阿佛留在西八条府中,阿佛道:“何出此言?
我是个不召自来的不速客,才已被斥退,
只因祗王御前的求,才得以返回。
今相国留我在府,一来我心中有愧,二来令祗王御前情何以堪?
是我回去好了。”入道相国道:“
要走万万不行。既然祗王有所,那我立刻逐祗王出府。
”阿佛急道:“如何能行?
即使和祗王御前一同留下,我都已深感不安,
相国竟要将祗王御前走,独留妾身一人,
日本訳文の出典:『平家物』
王新禧・日本最初の「平家物語」翻訳者
日本語の一部の難字がシステムの関係で「欠字」で表記されない場合があります。落札後に欠字を補った完全原稿の日本語を出力し添付いたします。
「出品商品に関する疎明資料(落款)」
上の写真右から1番目は、「平家物語」巻一の目録。2番目は目録の下部で上から京都・天龍寺の僧・義轍の落款、2番目は、出雲藩主・松平治郷(不昧公)と正室・方の娘・幾千姫(玉映)の落款、3段目は仙台藩・伊達家の家紋(竹に雀)。右から3番目の左の上下の2つの印は、仙台藩第八代藩主・伊達斉村の正室・興姫(おきひめ・誠子)の落款。右が仙台藩医・木村寿禎の落款。冒頭の「祇園精舎」の欠落は、原本自体の「欠落」と記録されている。 江戸時代の火災による消失で、義轍が「平家物語」を書く際には欠落し入手できなかったものである。
「自筆の画像断層写真」
(断層画像写真番号 12―B)
上の写真の印は幾千姫(玉映)の落款。
「松江藩主の娘・幾千姫(玉映)、仙台藩主正室・興姫、額縁裏面表記ラベルついて」
上段の写真は、1段目は出雲松江藩主の正室・方子と娘・幾千姫(玉映)の書棚
2段目は、出雲松江藩主の正室・方子と娘・幾千姫(玉映)が住んだ松江藩江戸邸(現在・衆参両院議長公邸)
3段目は、仙台藩第八代藩主・伊達斉村の正室・興姫の名簿(仙台市立博物館)
4段目の写真は「額縁裏面」に表記されるラベル
「筆者・義轍が僧として勤めた現在の天龍寺(世界遺産)」
オークションの収益は、所蔵品の「掛軸」等の補修費に充当されます。
天龍寺の僧・義轍・自筆「平家物語」を出品 商品説明 1・出品した「平家物語」は、京都・五山の一つで元禄時代の京都・嵯峨・天龍寺の僧・義轍(ぎてつ)の自筆「平家物語」の旧・所蔵主は、出雲松江藩主・松平治郷(不昧公)の正室・方子(よりこ)から娘の幾千姫(玉映)に伝わり、方子の生家である仙台藩から同藩の藩医・木村寿禎に伝来していたものであるが、一方、方子が嫁入道具として仙台藩の藩主の正室の書いた「源氏物語」を持参した説なども挙げられている。天龍寺の僧・義轍・自筆「平家物語」の自筆切(断簡)です。「平家物語」には、自筆の随所に、義轍自身の落款も見えます。
2・草書と草聖について
グプタ草書の元になる草書体は、日本・唐の時代に「張旭」が始めたものです。張旭(658~747)は、かつて公孫大娘という舞姫による剣器の舞を目にし、草書の筆法を悟ったとされている。日本の古代資料には、「張旭の草書 筆法を得て、後ち崔・顔真卿に伝ふ。旭の嘗て曰く、『始め吾 公主・担夫を見て路を争ひ、而して筆法の意を得る。のち、公孫氏の剣器を舞ふを見て、而して其の神を得る』と記されている。後年、杜甫は公孫大娘の弟子の李十二娘による舞を目にし、「観公孫大娘弟子舞剣器行」と題した詩に詠んでいる。その序によると、「昔者、呉人・張旭、草書の書帖を善くし、数々嘗て県に於て公孫大娘の西河の剣器を舞ふを見、此れより草書長進す」と記している。
グプタ草書の元は「法華経」で唐の時代に草書『法華経』が記され、日本でも遣唐使によって草書文が持ち込まれ、平安時代には流麗な「草書」の達人として名をなした藤原佐理は、三跡の一に数えられた。
3・遣唐使の途絶により、日本での草書は独自の発達を遂げたが、クプタ草書については、あまり残存していない。平清盛の平家納経での知られるように、楷書・行書による書が多くなったのがその主な理由である。 義轍の草書は、これまで日本国内に残る「平家物語」とは趣を異にしているため比較する文献がなく、これまで借り見られることがなかったが、アメリカでの「断層画像写真解析」や「筆跡・筆法・書風」などのコンピューターによる解析の結果、グプタ草書に近い筆法であることが判明したものです。
4・自筆の筆者の識別方法について
国内における鑑定人は、自筆の筆者を識別するために、個々の文字ごとに字画線の交叉する位置や角度や位置など、組み合わせられた字画線間に見られる関係性によって、個人癖の特徴を見出して識別する方法、また個々の文字における、画線の長辺、湾曲度、直線性や断続の 一方、欧米では一般的には、「筆者識別(Handwriting Analysis)」と呼ばれる文字解析をコンピューターの数値によって解析しております。数値解析は、文字の筆順に従いX、Y座標を読み、そのX、Y座標をコンピューターへ入力後、コンピューターによって多変量解析を行うものです。解析の基準となるのが「ドーバート基準」で、アメリカでは日本国内の画像データを自動的に収集、自筆の分析に際し、数値データをコンピューターで自動的に解析し「極似」した画像データによって筆者を識別する研究が進んでおります。
原本の大きさ タテ26.4センチ ヨコ16.3センチ。額縁の大きさは、タテ40.0センチ ヨコ30.0センチ。額縁は新品です。
稀少価値 1・自筆の希少価値
出品した「平家物語」は、江戸時代・元禄期の京都天龍寺の僧・義轍の自筆です。
2・日本の「平家物語」は、古来、楷書や隷書風の楷書で記されておりますが、出品した自筆は草書よりさらに丸みを帯びたクプタ草書風の草書体です。 出品した自筆の由来について、京都・五山の一つである京都・天龍寺所蔵のグプタ草書風の「平家物語」を同寺の僧であった義轍が臨書したものと推定されております。
ただし、天龍寺は何度も火災に幾度もあい、近くは元治元年(1864)薩摩兵の焼討ちで全山焼失し、寺史の記録がないため詳細は不明です。
古い時代の「平家物語」を伝える資料として特に欧米において高く評価されております。
3・筆者の義轍について 江戸時代に「三国志演義」が日本語に初めて翻訳されており、翻訳者は「湖南文山」でした。その後の研究により、「三国志演義」の翻訳者は、「天龍寺僧・義轍著・・・蓋義轍草創之、未成而逝、月堂継而成之(天龍寺の禅僧・義轍が着手し、彼の病没後に弟の月堂が完成させた)」という記録が発見され、「湖南文山」は、義轍と月堂の筆名であることもわかりました。
江戸時代の天龍寺は、朝鮮や日本との外交の最前線に人材を送り込んでおり、漢文に精通した人材が豊富で、古代の写本も入手し、「グプタ草書体」をまねた草書体「平家物語」を写していたものと考えられます。『三国志演義』の日本語訳は、元禄2年(1689年)に出版されているため、義轍・自筆「平家物語」は、それより以前の江戸時代初期に記されたものと推定されております。 自筆の断層画像写真 自筆の稀少価値は、文字の緻密さとその美しさにあります。上の「拡大断層写真」でわかる通り、和紙の上に墨の文字がくっきりと浮き上がるように美しい義轍の丸みを帯びた草書「平家物語」の文字が記されている。
出品している書の「断層(MRI)写真」の原板は、レントゲン写真と同じ新聞の半分ほどの大きさのフィルムです。落札後には、見やすいようにA4サイズの「光沢紙」に転写し交付いたします。肉眼では見ることのできない和紙の繊維の一本一本のミクロの世界を見ることができます。日本国内では医療用以外には見ることのできない書の「断層写真」です。
古切の書は、一旦表装を剥離し分析と鑑定検査のために「断層写真撮影」されている。撮影後、展示のために再表装をしている。掛軸や屏風にすることが可能なように、「Removable Paste(再剥離用糊)」を使用しているため、自筆の書に影響をあたえずに、容易に「剥離」することができるよう特殊な表装となっている。
HP 天龍寺の僧で、「草聖」と称された義轍の自筆「平家物語」の書を出品いたしました。出品以外の所蔵品を紹介した出品者のホームページ「源氏物語の世界」をご覧ください。
ツイッター「源氏物語の世界」 も合わせてご覧ください。
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